大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)8956号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判旨】
二契約上の責任
1 請求原因二3の事実中、(一)の事実は当事者間に争いがなく、(二)及び(三)の事実は被告会社において明らかに争わないから自白したものとみなす。
右事実によれば、被告会社は訴外今井との間で、加害車を被保険車、保険期間を昭和五七年五月一一日より一年間とし、対人賠償額を八、〇〇〇万円とする自家用自動車保険契約(以下、本件保険契約という)が締結されたこと、加害車は昭和五七年七月二九日訴外今井より被告板木に譲渡されたことがいずれも認められる。
2 次に、本件保険契約の約款をみるに、<証拠>によれば、第六章第五条一項には、被保険自動車が譲渡された場合であつても、この保険契約によつて生ずる権利および義務は、譲受人に移転しない。ただし、保険契約者がこの保険契約によつて生ずる権利および義務を被保険自動車の譲受人に譲渡する旨を書面をもつて当会社に通知し保険証券に承認の裏書を請求した場合において、当会社がこれを承認したときは、この限りではないと規定され同条二項には、当会社は、被保険自動車が譲渡された後(前項ただし書の承認裏書請求書を受領した後を除く。)に、被保険自動車について生じた事故については、保険金を支払いませんと規定され、また、同約款には、同第五条一項の規定により承認裏書請求があつた場合には、保険会社において、保険契約の解除権(同章第一〇条一項一号)、追加保険料の請求権(同章第一一条一項)を認める規定がなされていることが認められる。
3 ところで、商法六五〇条一項にいう「保険の目的」とは物自体をいい、物の経済的価値を保険目的とする車両保険に直接適用のあることは当然として、被保険者の一般財産を保険目的とし、物は単なる媒体にすぎない賠償責任保険に同条を直接適用することはできない。しかしながら、自動車賠償責任保険は保険の対象となる被保険車を特定して契約がなされ、被保険車を通じてのみ被保険者の一般財産を保全しているという賠償責任保険の仕組を考えれば被保険車になお個性がみられ、かつ、自動車賠償責任保険の機能的側面をみれば、保険目的は、静的な被保険者の一般財産というよりも、むしろ、動的な物の利益、すなわち、自動車の運行によつて生ずる利益とみることができ、そうすると、被保険利益は物に付いて存するものといいうるのであつて、同条の立法趣旨が、被保険者が保険の対象となつている目的物を他人に譲渡した場合に、既存の保険契約は目的を失なつて消滅することとなるが、その結果、被保険者はこれにより保険料を浪費し、他方、物の譲受人は新たに保険料を支出しなければならず、また、新たな保険契約を締結するまでは被保険利益を無保険状態におくこととなつて、当事者の意思に合致しないのみならず、社会経済的見地からも不都合をきたすこととなることを考慮し、かかる結果を回避するために立法化されたものであることに鑑みれば、賠償責任保険についても、同条を類推適用すべきである。
次に、商法第六五〇条一項の効果は、単に目的物の譲渡人と譲受人との間において推定されるにとどまらず、両者と保険者との間においても賠償責任保険関係が発生するものと推定されるものと解すべきである。けだし、同条一項を受けて規定されている同条二項が、もつぱら保険者の利益を考慮し、一度は発生した保険者と目的物の譲受人との保険契約の効力を失なわせることもあることを規定しており、そうすると、保険者と目的物の譲受人との間には、一旦、賠償責任保険関係が生じていることを前提としている規定となつているからである。従つて、一般に契約上の地位を譲渡する場合には、他方の契約当事者の承諾を条件として譲受人と他方の契約当事者との間に既存の契約関係が生ずるのであるが、同条一項の適用を受けることにより、保険の対象とされている目的物の譲渡のみで目的物の譲渡人と譲受人間で保険契約によつて生じた権利を譲渡したものと推定されるのみならず譲受人と保険者との間にも既存の保険契約関係が発生することをも推定しているものと解されるのである。
しかしながら、商法六五〇条は、当事者の通常の意思を推定し、これを社会経済的観点から肯定した規定であつて、同条に違反する法律行為を公序良俗に違反する行為として無効としなければならないものとは解されず、従つて、同条は強行規定ではなく任意規定と解されるから、右規定に反する契約により同条の適用を排除することができる。
そこで、前記約款第六章第五条を考えるに、同条は商法第六五〇条一項の効力のうち、保険者と目的物譲受人との法律関係が生ずるための推定的効力のみを排除しているものと解される。けだし、同条は目的物の譲受人と保険者との間に賠償責任保険契約関係が生じその効力を発生させるための承認裏書手続を規定しているにすぎないからである。
4 右解釈をもとに、本件を考えるに、本件保険契約の対象目的物である加害車は、昭和五七年七月二九日訴外今井より被告板木に譲渡されたことが認められるのであるから、商法第六五〇条一項により、本件保険契約の被保険者としての地位は訴外今井から被告板木に譲渡されたものと推定され、かつ、被告板木と被告会社との間に本件保険契約関係が生じたものと推定される。
しかしながら、約款第六章第五条一項、二項のため、なお、本件保険契約の被保険者としての地位が訴外今井から被告板木に譲渡されたものとの推定はなされる(<証拠>によれば、訴外今井は本件事故後の昭和五七年八月四日、本件事故の調査に赴いた被告会社社員十川の勧めにより、加害車の代替車となるべき自動車を買い換える予定もないのに、本件保険契約を解除する手続をしており、保険料の払戻金を、同月五日新たに締結した訴外今井の娘の使用する原付車を被保険車とする自動車保険契約の保険料に充当し、これと相殺することによつて精算していることが認められるものの、右の如き事情下になされた訴外今井と被告会社間の解約手続の存在のみで商法第六五〇条一項の推定を覆すことはできない。)ものの、被告板木と被告会社間に本件保険契約関係が発生したものと推定することはできない。むしろ、右認定の訴外今井と被告会社間の本件保険契約についての解約手続がなされた事情によれば、訴外今井は被告会社に対し約款第六章第五条一項にいう譲渡通知すらしていないことが推認されるのであつて、そうすると、被告板木と被告会社間で本件保険契約関係が生じたものとはいえない。従つて、原告の被告会社に対する本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、棄却を免れない。
なお、原告は、約款第六章第五条につき、これを限定的に解釈すべき旨主張し、訴外今井が被告会社に対し承認裏書手続をすればこれを承認したことが明らかな本件では同条の適用はない旨主張するが、約款第六章第五条は、商法六五〇条一項が譲受人と保険者間で適用されることを排除した規定であつて、保険者にとつて被保険車の譲渡が著しい危険の変更または増加となるか否かにかかわらず、右の失効要件の前提となる譲受人と保険者との保険契約関係を発生させるための手続規定であるにすぎないのであるから、これを限定的に解することはできない。また、手続規定を限定的に解するとしても、被保険者が承認裏書手続を行なつたのに、保険者において正当の事由なく、もしくは遅滞して承認をしない場合には、被保険者と譲受人との対比が問題となりうるものの、被保険者である訴外今井が、目的物の譲渡につき通知すらしていないことの認められる本件では、右対比はその前提を欠くうえ、原告の主張は、被保険者である訴外今井と被告板木との対比ではなく、訴外今井の子息である訴外今井宏と被告板木との対比であつて、この点においても主張自体失当というべく、原告の右主張は採用しない。 (坂井良和)